by Rob Beyer

この前何かのきっかけで話した話題の中に出てきたのだけど、中島みゆきの歌っている中で「ファイト!」って歌について、その歌詞の中にある「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」というフレーズが非常にいいなぁと思ったのでやたら覚えていたわけだけど、これが単なる創作ではなくて、中島みゆきが担当していた頃のラジオ番組「オールナイトニッポン」に寄せられたハガキのうちの1つだったというのが衝撃だった。

YouTube – ファイト!( ペンネーム:「私だって高校行きたかった」に捧げる唄 )

みゆきさん こんばんは

毎日たのしく聴いています。

わたしは中学をでて すぐに働いて2年になる17歳のおんなのこです。

この間、わたしの勤めている店で、

店の人がわたしのことを「あのこは中卒だから事務はまかせられない。」と言っていたの を聞いてしまいました。

わたしくやしかった。

くやしくて くやしくて泣きたかった。

中卒のどこが悪いと言いたかった。

わたしだって高校行きたかった。

だけど家のこと考えたら、私立に行くなんて言えなかったし、高校に入る自信もなかった 。

なのに こんなふうに言われるなんて ヒドイ。

ごめんなさい 愚痴を書いてしまって。

また お便りします。

ペンネーム「わたしだって高校行きたかった。」

詳細はYouTubeやニコニコ動画にもあるのでそれを見てもらえればわかるのだけど、こういったただの「愚痴」でも昇華させて1つの歌にしてしまうという点が創作の根本のような気がする。これをハガキの文章として単純にそこに並べられているだけであれば誰も見向きもしないようなものを、歌詞としてさらに洗練させて他人の共感を得られるものに仕上げ、なおかつ歌い方を変化させることでよりインパクトあるものにしていく、こういった昇華のさせ方が単純に「すごい」と思う点だ。おそらく世の中の創作のほとんどは99%ぐらいが自分の思いを昇華させるのだけど、他人の思いであってもそれを自分の創作として昇華させてしまうというのは、並々ならぬ技量と鍛錬を感じさせる。やってやれないことはないだろうけど、それをここまでのレベルに高めるというのは奇特だ。

それにしても歌詞がまたすごい。

ガキのくせにと頬を打たれ
少年たちの眼が年をとる

とか

悔しさを握りしめすぎた
こぶしの中 爪が突き刺さる

とか、何かこう、言葉の比喩の仕方が非常にうまい。普通の小説にありがちなかっこつけの「美しい情感」みたいなキザったらしいものは吐き気がするのだけど、逆にこういうのは「そうそう、そんな感じ!」と共感できる。特に以下の歌詞がすごすぎる。

私、本当は目撃したんです 

昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と 
つきとばした女のうす笑い

私、驚いてしまって 
助けもせず叫びもしなかった

ただ恐くて逃げました 
「私の敵は 私です」

あまりの状況に身がすくんで動けないという状況を描いておいて、普通なら「怖くて逃げた」で終わるところをさらにもう一歩踏み込んで、人間の倫理のレベル、「自分の敵は自分」という究極のレベルにまで到達するのが圧巻。自分が悪いと責めるようなものは数あれど、自分自身をここまではっきりと「敵」、つまり自分の中の弱さは敵なのだ、と断言するというのは珍しい。本当は転がり落ちた子どもを助けるべきだし、突き飛ばした女を捕まえるべきであるにもかかわらず、そうせずにその場から逃げ出したという、今の世の中ならここまでではなくても誰もが経験するであろう「見て見ぬフリ」に対して、「どうせ自分には関係ないし」と言って開き直るわけではなく、「自分の弱さが敵」と言い切るこのセンスはなかなかすごいなー、と。

こういう人間存在の根源を貫くような歌詞はいいよね!

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