山も意味もオチも無い文章ですが…
事のはじまりは、報道部でのある会話からであった。
それは「生足」という単語。ある部員の口からでたその単語に他の部員が反応する。「その単語はいつ使うんだwww」と。しかし、それは致し方ないことなのではと考えている。なぜならば、「人の[日常]と[非日常]とは、その人の感じ方によって変わる」からだ。今回はそのことについて書こうと思う。
さきほどの生足を例にしよう。その部員(プライバシーのため、詳しくは控えます)は、普段から生足を(こっそり)見ている、らしい。その部員からすれば生足を見ることは[日常]なのだろう。しかし、私(ポケモンばっかりやってて二次元にしか興味がない人間)からすれば生足を見ることなどは[非日常]となる。
逆に私(ポケモンばっかりやってる人)からすれば、ポケモンは[日常]であるが、他の部員は「は?まだそんなのやってんですか?子供ですか?」と蔑まれるかもしれない。つまり[非日常]に分類されるはずだ。他に例をあげると「歌を歌う」こともそうだと思う。歌を歌うことが本当に好きな人、音楽さえもあまり聞かない人すらいるはずだ。そうなるとこれも[日常]と感じるか、[非日常]と感じるかが分かれるたろう。このように考えれば[日常]と[非日常]がその人の感じ方に左右されるということはわかってもらえるはずだ。
まだまだ書きたいことはあるが、この辺で。
長々とお付き合いありがとうございました。
「[日常]と[非日常]」への2件の返信
本日休んだ者ですが…
なんか深いと感じたからコメ。
自分の中の「日常」なんて人それぞれ、否定してはいけないと思う。
犯罪だったら別だけどね。
下らなくても、そんなものかなって受け入れることが大事だと再確認しました。
…とちょっと私が言ってみたり。
ほんの少し、私も理解されたいなと思うときはあるので。
私の「日常」を聞いて笑ってくれるのも嬉しいけど、たまには「非日常だね」と笑うだけじゃなくて、誰か私の「日常」を理解してくれないかな?…なんて無理ですよねw
でも本当たまにだけど、ちょっと寂しいな…
勿論、皆さんのは否定ではなくむしろ賛同に近いのは分かってるつもりなんですが、それでも…ね…
…被害妄想もとい独り言でした。
コメントなのに長文失礼。
私も混ざりたかったです。
生足談義。