なんというか勉強の天才ではあってもそこから先、つまり実社会にうまくつなげられないと意味がないのだということが読めば読むほどよくわかる。

読み切りノンフィクション ああ、灘高 日本で一番勉強ができた子たちの「その後」 大人になって思う、僕たちは変人なのだろうか | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/545

上記記事を書いている人自身もそもそも灘高出身者で、まずは灘高の簡単な紹介。

 灘高等学校。今年も東大に103人、京大に35人の合格者を送り込んだ、超有名進学校だ。所在地は兵庫県神戸市。筆者は'93年に同灘高を卒業した。

 東大合格者の数では開成高校(東京)に後れをとるが、1学年に220人の少数精鋭であることを加味すると(開成は400人)、おそらく「日本一頭の良い学校」と言えるだろう。

問題はどういう子どもがここに入学するのか、ということ。大体こんなヤツらしい。

「小学生の頃?まあ、ハッキリ言って神童やな。公立やったから、周りのヤツに『お前らが勉強できひんせいで、オレが退屈な授業受けなあかんやんけ!』と文句言ってた。もちろん嫌われてた(笑)」

この灘高の問題点は均質な点にあるという指摘がここから始まる。いわく、浜学園か希(のぞみ)学園のどちらかに合格者の7割が通っており、実質的には顔見知り同士、つまり内部進学状態になっており、日本国中から賢い子が集まってくると言うよりも、むしろ地元民だらけになっている「ローカルな天才」の集団と化している、と。その状態が小学校の塾通いから高校卒業まで長い間続いてしまう点に問題を抱えている、と。そしてさらに問題が発生する。高校受験がないのに加えてもともと全員賢いのでテスト前しか勉強しない、すると普段は何をするのかというと、「部活と趣味と、女」だそうで。

 受験業界では知られた話だが、灘校生は「ガリ勉」ではない。また、「ガリ勉と思われたくない」と強く思っている。そして、校則も制服もなく、校風はいたって自由である。先生も生徒の自主性を大切にし、生活指導に血道をあげるような人はいない。

 学年の半分が運動部に入部し、残りはアニメやアイドル、鉄道やアマチュア無線、そして麻雀や囲碁将棋といった趣味に没入する。ごくわずか、1割程度が男女交際にいそしむ。

 ふだんは目立たない「オタク」たちの晴れ舞台が、年に一度発行される「灘校生徒会誌」だ。

「アイドルランキング ベスト500」などというタイトルで、異常な思い入れを込めて健筆をふるう。

 運動部系の生徒は「こいつらほんまキモいなあ」と言いながらも、実はちょっと楽しんで読んでいる。

 そういえば、株式投資にのめり込んでいる同級生もいた。授業中、ラジオでこっそり株価情報を仕入れ、チャイムが鳴った瞬間に公衆電話にダッシュして、株取引をしていた。

 とにかく、銘々(めいめい)が好きなことをしているのだ。

つまり、勉強は勝手にやっているだけで、それ以外の時間は延々と自分の好きなことをしまくっている、というわけ。普通にしているだけで東大に行けるというのだからとんでもないレベルだ。つまり勉強の結果、成績がすべての価値基準である間は順調にうまくいく、むしろ極めてうまくいく。問題はここから先。

 灘高文系の卒業生の多くは弁護士か官僚になる。また驚くべきことに、卒業生全体のなんと4分の1が、医者になる。

医者になるにはかなり勉強をしなければならないわけなので、「そこまで勉強できるなら医者になれるね」というぐらいの考えで医者という職業を選ぶ。要するに、現在の自分の能力を最高に活かすわけではなく、なりたいものになるわけではなく、「とりあえず勉強ができるから医学部に行く」わけだ。

「母親は、『せっかくなれるんだから、お医者さんになったらいいわよ』と昔から言っていた。父親はサラリーマンで母は主婦、両親が天下国家を論じる姿を見たことはないし、東京で一旗揚げろと言われたこともない。母親が医者に対して持っているイメージは、お金が儲かる上に尊敬される、というものでしょう」(医者になった卒業生)

妙な話だが、本当によくできた上流家庭とかだと灘高校に行かせたりはしないわけで。むしろ最初からもっと実質的に将来の仕事に必要なことをやらせる、というわけ。なので、何が起きるかというと、こんなことになる。

 灘の卒業生を見ていて、もったいないな、と思うことは正直ある。灘高生の発想の基本は『ミドルリスクミドルリターン』。常に均質な世界にいて、社会人になってもそこから出ようとしない人が多い。みんなスゴイ能力を持っているのに、『甲子園球児が大学で野球サークルに入る』といったイメージでしょうか」

確かにこういうのはあると思う、能力を持っているのにその能力に見合っただけの志というか気合いというか、考えや思想が足りないという状態。こういうのを見ていると、一体勉強するというのは何の意味があるのかと思えてくるが、その頂点に至ってもなお同じような結果になっているのを見ると、やはり中学も高校も大学も所詮は「通過点」でしかなく、本番はそのあとから始まるのだな、というような気がする。

投稿者: そうすい

ins-magazine.netとins-magazine.orgの管理人。やることいっぱいでいつも大忙し。