神戸女学院大学の教授であり、武道家であり、翻訳家でもある内田 樹(うちだ たつる)教授が2011年9月2日(金)に書いたブログの中身が非常に当を得ている。

学ぶ力 (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php

 「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。

第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。

第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。

第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。

この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力」です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で「学力のある人」です。

ブログ内ではこの3つについてそれぞれ細かく定義されているが、確かにその通り。自分よりも相手の方が詳しく知っているのであれば、その相手から学ぼうという真摯な気持ちがあるかどうかが一番肝心で、それがないのであれば「学力のない人」ということになる。

最終段落の以下の文章が実にわかりやすい。以下が引用の続きとなる。

 逆に、どれほど知識があろうと、技術があろうと、このひとことを口にできない人は「学力がない人」です。それは英語ができないとか、数式を知らないとか、そういうことではありません。「学びたいのです。先生、教えてください。」という簡単な言葉を口にしようとしない。その言葉を口にすると、とても「損をした」ような気分になるので、できることなら、一生そんな台詞は言わずに済ませたい。だれかにものを頼むなんて「借り」ができるみたいで嫌だ。そういうふうに思う自分を「プライドが高い」とか「気骨がある」と思っている。それが「学力低下」という事態の本質だろうとわたしは思っています。

自分の「学ぶ力」をどう伸ばすか、その答えはもうお示ししました。みなさんの健闘を祈ります。

確かに「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というのを実在の人物に対してだけでなく、書物やあらゆるものに対して行えるかどうかが、年齢に関係なく、最終的な学力に大きく直結している。

投稿者: そうすい

ins-magazine.netとins-magazine.orgの管理人。やることいっぱいでいつも大忙し。